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地方でデザイナーをするということ

2022.3.5/更新:2026.5.13 #日々

私は地方でデザイナーをしている。

地方でデザイナーをする、ということを客観的に一度みてみたいと思っていた。

地方でデザイナーをするということは、こういうことかな… というのが、最近ようやくみえてきた。

 

 

地方でデザイナーをすることになった経緯

学生生活を終え、デザインの仕事をするなら大阪か東京のどっちかだと

先入観だけで思い込み、大阪でデザイナーをはじめた当時。

最初の名刺の肩書きは「アシスタントデザイナー」。もう20年以上前の話。

いまだに貴重な「アシスタントデザイナー」名刺は保管してある。

 

大阪デザイナー時代は10年弱で終了。私にとってはめちゃくちゃ長い10年で濃厚な10年だった。

そして30歳目前でUターン。

再就職先も決めずに、行き当たりばったりで地元に帰った。

 

「まぁ何とかなるやろ…」

 

…で、なんともならなかった。

 

地元は兵庫県内でも超がつく田舎、デザイナーの就職先なんて皆無。

求人がそもそもない。

それでも、車で片道30分~1時間位の範囲なら、数えるくらいしかなくても、

デザイン会社や印刷会社のデザイン部があり、なんとかデザイナーを続けられた。

本当に首の皮1枚で続けられたという感じ。

 

大阪では、あんなにデザイナーの求人があったのに…。

あまりのギャップに田舎の洗礼を受ける。

 

 

地方でデザイナーをすることで不得手なことに気づけた

地方でデザイナーをする。

今までのような、華やかなキラキラした(表向き)お仕事とは無縁になるんだろうと覚悟していた。

まぁ確かにそうなのだけれど、結果的には違う楽しさがあった。

 

地方ならではの「地元に密着した仕事」、「顔が見える仕事」、これは本当に新鮮だった。

 

コンペの作業ベースの準備をしなくて済んだのもよかった。あれはとにかく苦手だったので…。

私の性格的に、同じことの繰り返しや単純作業が苦手だ。

毎日単調な同じ作業を繰り返していると体調を崩す。なぜなのだろう…。

わかっているのはそれをストレスに感じているということ。

人それぞれ得て不得手はある。私はこれが不得手だった。

それに気づけたのも地元に帰ったからこそのこと。

 

 

地方でデザイナーとして生きる術

地方でデザイナーを続けるには、ある程度何でもできた方が良い。

 

デザイナーなのに、イラストが描ける、写真が撮れる、コピーが書ける、取材ができる。

大阪にいるときは、それぞれイラストレーターさん、カメラマンさん、コピーライターさんにお任せしていたものでも、

プロ級のクオリティでデザイナー自身ができてしまった方が良い。

 

それは何故か?

 

地方デザイナーの生きる術ともいうのか、それぞれのプロに発注するほどの予算のある仕事がまずない。

 

だから何でもこなせることで、予算も抑えながらクオリティも維持した仕事をする。

これが私の導き出した生きる術だった。

 

ちなみに予算がある仕事は、地方だろうが関係なく、東京や大阪の広告代理店がされている。

この事実を知って最初は確かにびっくりしたし唖然とした。

 

地方の会社だからといって、地方のデザイナーに仕事を依頼しているわけじゃない。

地方にはそういう構図もあった。

 

 

地方デザイナーの戸惑いとやりがい

地方でデザイナーをやっているというだけで、クオリティーが低いというレッテルを貼られる。

その事実にも戸惑った。

 

12年前に地方で独立してフリーランスのデザイナーをはじめた。

 

当初は実績がなかったのでこういった偏見はかなりあった。

 

「ほんまにデザインできるの?」 とか

「デザインやったら、社内で適当に作れるから~」 とか、

そんなふうにいわれる方も多かった。

 

「わかりました。一度デザインのサンプル作ります。それ見て判断していただけませんか?」

そういって本気でデザインしたものを持って行ったことがあった。

 

そのデザインを見てお客さんの顔色が一変した。

「すごいな…ほんまにデザインできるねんな」

そうやって納得してもらって、仕事を受注したこともあった。

 

 

 

地方の会社さんとお付き合いする場合は、短期間で結果を出す必要もある。

 

どんなにクオリティの高いデザインを納品したとしても、結果が伴わなければ次の依頼は無い。

 

しかし、その逆もある。結果が見えると末永くお付き合いしてもらえる。

起業当初からお付き合いのある会社さんもたくさんある。

信用してもらえているんだなと、正直に嬉しい。

 

地方でデザイナーをするのは厳しい面も確かにある。

だけど、そこに根を張り信頼してもらえるようになると、どんどんやりがいも感じられるようになる。

 

 

地方は可能性をたくさん秘めている

私は仕事のビジョンとして、「街をデザインで元気にする」というものを掲げているけれど、

個人のビジョンとしても変わらない。

 

何年か前に兵庫県西脇市でイベントを開催した。

木造の小学校を貸し切って、西脇市に縁のある人を先生に授業をするといったもの。

 

先生には、西脇市長や、地場産業である播州織のデザイナーさんや、

現在東京で活躍されているイラストレーターさんや、酒蔵の蔵人さんなどユニークな9名。

そして授業は9種類。

 

当日は150名近い方々が集まって大盛況だった。

 

年齢層も、高校生からおじいちゃんおばあちゃんまで幅広く、

田舎は閉鎖的であきらめに近い感情を持っている人が多い印象があったけれど、そんな事は無い。

 

楽しいことを欲しているし、良い方向に変わっていきたいと思っているんだと強く感じた。

 

 

ちなみにこれは余談ですが…

イベントは「北はりま大学のにしわき学校」というもの。

当日右往左往していた私は、動画を撮る手配まで気が回らず、

私の知らない所で、当日の動画を撮ってくださっていた。

映像に残っているのは本当にありがたい。

 

 

 

 

 

地方には可能性がある。

デザインにはその可能性を引き出し、ステージをもう一つ上に上げる力があると思っている。

 

私はそれを「ブランディング」というやり方で実現したい。

 

地方で「ブランディング」を広めたい。

 

地方でデザイナーをすることは覚悟もいるけれど、

私はこの場所が好きだし、

地方はやっぱり合っている。

 

 

追記) 地方デザイナーのAI時代の生き方

このブログを最初に書いてから4年が経った。

私は相変わらず地方デザイナーを続けている。

不思議だけど、このブログ、なぜか長期に渡りたくさんの方に読まれている。

「地方×仕事×生き方」みたいなテーマで見つけていただいたのかな、とも思う。

 

地方デザイナーって、かなりニッチな分野だと思う。そんな中で少しでも誰かの参考になれれば嬉しい。

 

2026年、地方にもAIの波は少しづつ押し寄せて来ている。

おそらく近い将来、制作という作業がデザイナーの仕事では無くなっていくと思っている。

1990年代にDTP革命が起こったけれど、その時と同じぐらいなインパクトの構造変化が、今起こっているという肌感覚でいる。

 

そんな中で、地方デザイナーができることは何なのか。

 

まず、デザインを広義の意味で捉えることが必要だと思っている。

いわゆる戦略を練ったり設計するデザイン。

狭義の意味でのデザインのみをやっていては、淘汰されてしまうかもしれない。

 

何年か前からブランディングを行っているけれど、ブランディングは地方デザイナーが生き残る可能性の一つだと思っている。

 

ただ、注意したいことがある。

地方でブランディングという言葉は、受け入れられにくい。

得体のしれないものであり幻想、といった受け取り方をされてしまっているのかもしれない。

 

私もあえてブランディングという言葉を使わないようにしながら、ブランディングを行うようになった。

少しずつだけれど、結果も出てきている。

理想のお客さんが増えてきた。売上が少しずつ上がっている。メディアに取材された…など。

その報告を聞くと、本当に心から嬉しい。

 

これが、現地点での地方デザイナーの生きる術。

 

また、何年後かに答え合わせができたらいいなと思う。

その時にも、地方デザイナーを続けていることを願って。

 

顔写真

株式会社イットデザイン
伊藤 亜希

グラフィック・ウェブデザイナー
ブランディングデザイナー

デザイナー歴24年目。
大阪から兵庫へUターン就職→起業。
主な受賞歴に、日本タイポグラフィ年鑑入選など。

【営業時間】平日9:30〜18:00
【休業日】土日祝 年末年始、旧盆期間
お問い合わせはフォームからお願いいたします。

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